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​大阪府立長吉高校の取り組み

※1995・96年 「阪神大震災チャリティー24時間リレーマラソン」   

95年96年の文化祭においては「阪神大震災チャリティー24時間リレーマラソン」を実施しました。これは、学校のグランドに200mのトラックをかき、生徒と教員で24時間たすきをつないで走りきるというものです。そして、24時間で走った総距離(95年は270km、96年は275kmを走破)の1kmにつき1円の寄付をいただけるスポンサーを募集するというもので、多くの方々のご協力を得て、集まった寄付金(2年間で60万円)を被災した神戸の福祉作業所に届けることができました。

※1998年「チャリティー日本横断リレーマラソン500km」 ・・・ネパールに小学校を作ろう・・・   そこで得た経験や感動をもとに、98年の夏、ネパールに学校を作る寄付金を集めようと、和歌山県潮岬から京都府丹後半島経ヶ岬までの500kmをたすきでつなぐ「チャリティー日本横断リレーマラソン500km」を実施しました。   長吉高校は創立以来アジアとの交流を大切にしてきた経緯もあり、アジアの子どもたちのために何かできないものかと話し合ってきました。また、ネパールの学校建設は、95年チャリティーリレーマラソンを始めた当時校長をしていた故田中紘人先生の遺志でもあり、その遺志を引き継ごうと考えました。   大きな企画なので、乗り越えなければならない山は沢山ありました。しかし、教員と生徒はねばり強く話し合い、困難を乗り越えることができました。そして、長吉高校の生徒・教員・OB・PTAなど数百人がたすきをつなぎ、6日間かけ500kmを無事完走しました。途中、市町村や学校に立ち寄ってネパールの教育状況を訴えながら走りました。その結果、多くの方々からご協力いただき集まった寄付金340万円にもなりました。その寄付金で、ネパールのダヌッシャ郡に3校の小学校を建てることができした。  この時の様子は、TVや新聞・雑誌でも取り上げられ、大きな反響がありました。また、「日本横断リレーマラソン」は、教育出版の英語の教科書と地理Aの教科書に掲載されました。また記録映画会社が、その時様子を45分の記録映画にし、セルビデオとして全国で販売されています。

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※1999・2000・01・02・03・04・05・06・07・08・09・10・11年  貧困で学校に行けないネパールの子どもたちに奨学金を贈る  「チャリティー24時間リレーマラソン」  出来上がった小学校の子どもたちから、お礼の手紙や写真などが多数届けられました。その中で、学校ができても経済的な理由で通うことができない子どもたちが多くいるとういう現状を知りました。そのため、学校に行けない子どものために奨学金を贈ろうと考えました。そこで1999年から2011年までの文化祭で、「チャリティー24時間リレーマラソン」を復活実施しました。

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※2001年 「チャリティー日本横断リレーマラソン復路500km」

・・・もう一度、ネパールに学校を作ろう・・・

 ネパールの子どもたちからの手紙で、まだまだ学校が足りないことを知った生徒たちは、もう一度「チャリティー日本横断リレーマラソン500km」をしようと声を上げました。そこで、2001年夏「日本横断リレーマラソン復路500km」を実施しました。今回は前回とは逆の京都府経ヶ岬から和歌山県潮岬までの500kmを走りました。大阪区間では、和泉・富田林・河南高校の生徒たちが協力して走ってくれました。

 

ネパール建てた小学校 低学年は机が無い

 また、河南町立大宝小学校の5・6年生徒たちが、総合的学習で長吉高校のチャリティーリレーマラソンを勉強してくれました。生徒たちが、大宝小学校に出向き「日本横断リレーマラソン」について講演しました。輝く目をした小学生たちから、色々な質問を受け交流は深まりました。小学生たちから、「僕たちもたすきをつないで走りたいです。」という嬉しい申し出がありました。小学生 には真夏のランニングは難しいと思われましたが、その熱意に押され走ってもらうことにしました。真夏の道路を100名以上の小学生と保護者や先生方が、首に濡れタオルを巻いて走ってくれ、かつ寄付金も集めてたくれました。我々にとって、勇気づけられた感動のシーンでした。

また、当時教育長であった竹内教育長も大阪市役所から府庁まで走って下さいました。

小学生たちも走ってくれた

今回も多くの方々のご協力を得て大成功しました。寄付金は総額140万円集まり、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン(NGO)を通してネパールのダヌシャ郡ヤドクワ村に4校目の小学校を建てることができました

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※2002・03・04・05・06・07・08・09・10・11・12・13・14・15・16年

貧困で学校に行けないネパールの子どもたちに奨学金を贈る

「チャリティーツアーオブ淡路島250km」

 ネパールからの手紙で、貧困で学校に通うことができない子どもたちが、私たちの想像をはるかに超えた人数がいることが分かりました。小学校を贈ることから、奨学金を贈ることにシフトしました。少しでも多くのネパールの子ども達が学校に行けるように、2002年夏「ネパールの子ども達に奨学金を贈るための、ツアーオブ淡路島250km」を実施しました。長吉高校を出発し泉佐野港まで走り、津名港に渡り真夏の淡路島を1周し長吉高学校帰ってくる250kmのコースでした。

2003年 「第2回チャリティーツアーオブ淡路島250km」

 

ツアーオブ淡路島250km

 03年の夏、もっと多くの高校生たちにチャリティーリレーマラソンに参加してもらい、ネパールの子どもたちを助けることは出来ないものかと話し合いました。全国の高校生が協力をしてくれれば、素晴らしいと考えました。そこで、大阪府の他の高校や兵庫県の高校にも呼びかけ、ネパールの教育を取り巻く厳しい現状を訴え、本格的に協力をお願いしました。そして、全国の高校生たちがネパールの子どもたちを助けるもっと大きな奨学金制度を作ることができれば素晴らしいことだと考えました。

 そして03年の夏「第2回ツアーオブ淡路島250km」を実施しました。大阪を始め、淡路島にある高校にも呼びかけました。すると、それに協力しようと大阪の3校(泉北・和泉・岸和田高校)と、淡路島にある全ての県立高校(洲本・洲本実業・洲本実業東浦・淡路・淡路一宮・美原・津名・志知高校)が、協力したいとの申し出がありました。

8月11日朝5時、長吉高校の生徒がたすきをしてスタートしました。最初、目指すは泉北高校です。朝7時半に無事到着。早朝にもかかわらず、少林寺拳法部約100名が出迎えてくれました。そこで、たすきを泉北高校につなぎました。少林寺拳法部員は、10数名にわかれ、たすきをつないで走ってくれました。途中、和泉高校陸上部が待っていてくれ、無事たすきをつないでくれました。そして、岸和田高校を表敬訪問。校長先生を始めPTAの役員さんも出迎えてくれ、大歓迎して下さいました。そこから、岸和田高校陸上部が泉佐野港までたすきをつないでくれました。フェリーに乗り津名港に着くと、淡路の高校生たち約40名が港まで出迎えに来てくれました。港で長吉高校の代表の生徒が、今回のボランティアマラソンの趣旨を話しました。そして、津名港から淡路の高校生たちと長吉高校の生徒たちが一緒に走りました。最終的に淡路島にあるすべての高校が協力してくれました。生徒たちは、一緒に走りながら交流を深めていました。淡路島に2泊し、13日正午に淡路島を1周し津名港に無事到着しました。港では、長吉高校の生徒たちが淡路島の高校生の協力に感謝し、たすきの引き渡しのセレモニーを行いました。フェリーが岸壁を離れても、見えなくなるまで淡路の高校生たちは手を振って見送ってくれました。

 これで、大阪の高校生と兵庫県の高校生による「ネパールの子ども達に奨学金を贈るためのたすきリレー」が始まり、現在も続いています。

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「走ることによって、変わっていく生徒たち」

 走るボランティアマラソンは、ネパールの子どもたちだけでなく、参加した高校生たちにも大きな影響を与えています。98年の日本横断リレーマラソンに参加し6日間走った有本まおは、「沿道の人々の声援が嬉しかった。『人のつながりを大切にできる社会人になりたい』という気持ちが芽生えました。」と讀賣新聞のインタビューに答えています。ネパールの子どもたちのために走ったことが、走った生徒のこころに大きな影響を与えました。

また、リレーマラソンに参加した卒業生が、学校にやってきて「先生、リレーマラソンに参加したことが切掛けで、今ボランティア活動しているんです。ボランティアって難しいことだと思っていましたが、走るという些細なことがボランティアになることを高校時代に知りましたから。」と言ってくれました。そうです、ボランティアの垣根を、低くすることに役立つことができたみたいでした

「日本横断リレーマラソン500kmに参加して」 

チャリティーマラソン生徒実行委員 道口 弥生 (99年卒業)

 走るのがすごく苦手で嫌いだった私は、始め「えーウソやーん、走らなあかんの?」など文句の連発。でも色々な企業の方へ資料の送付、そしてお願いなどを続けていくうちに「この企画、絶対に成功させたい!ネパールに学校を作りたい。」と強く思うようになりました。

 私は正直、ネパールとういう国のことは、国名以外全くと言っていい程何も知りませんでした。でもこの企画に参加したことがきっかけで、学校が不足していること、自分の名前を書けない子どもがいること、青空教室で授業を受けている子どもたちがいることなど、すごくショックな事実を知りました。

日本に留学中のチャンドラ・リサル(ネパールからの留学生)さんが長吉高校に来て、覚え立ての日本語で、一生懸命話してくれたこと、私たちと一緒にあきらめず最後まで走り続けた姿、すごく感動しました。

 今まで長距離なんてあまり走ったことのない私が、あきらめず最後まで走り抜くことができたのも、チャンドラ・リサルさんやOBの人たち、そして先生方や長吉高校のみんな、ボランティアランナーのみなさんが一丸となって走る姿に感動したからだと思います。今でも思い出すとブルブル震えて上手には書けませんが、この感動はきっと参加した人でないとわからないものだと思います。そして、たくさんの人に胸を張って自慢できることだと思います。

そしてこの企画がきっかけで、多くのネパールの子どもたちが学校に行けるようになればいいなあと思っています。

今まで、ごくごく普通でなんの変化もなかった高校生活の良い思い出に残るだろうと思います。こんな素晴らしい企画を成功させた先生方、どうかこれからも続けて下さい。そして応援して下さった人たち一人ひとりに、大声で「ありがとう!」って叫びたいたいです。

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高校の英語の教科書に載った日本横断リレーマラソン500km!!!

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